HISTORY

井原:デニムの聖地への歴史と産業変革

 天領からデニムの聖地へ

 1.井原の歴史的変遷と経済基盤の確立

    天領としての時代(1707年―1819年)

・井原の一部地域は江戸時代の中期に幕府直轄の「天領」であり、幕府の財政を支える重要な経済基盤でありました。代官が派遣され、幕府の直接的な支配下におかれていました。

・一橋家領地への移行(1828年以降)

・文政11年(1828年)には、徳川御三卿である一橋家の領地となります。

・この地域は全国に分散していた一橋家の所領のうち、井原を中心とする小田郡、後月郡、上房郡にまたがる67カ村、約33,500石が当時の最大規模の領地となりました。

・一橋家は領地の財政強化のため、地場産業、特に繊維産業の育成に注力しました。

2.繊維産業振興策と生産形態の変遷

一橋家による繊維産業振興策は、以下の具体的な施策として現れました。

・高機(たかはた)の貸し付け:領民への機織り用高機の貸し付けにより、生産を奨励しました。

・織物技術者の招聘:伊予(愛媛県)から優れた織物技術者を招き、技術指導をおこないました。

・官営の家内工業:藩による綿花や藍の栽培奨励、加工品としての織物生産振興の結果、各家庭で織物が作られるという家内工業が盛んになりました。

これらの施策に加え、以下のような生産形態の進化が見られました。

・問屋制家内工業の登場:江戸時代中期以降、天領であった井原に問屋商人が出現し、農村の家々に糸や織機を貸し与え、織りあがった生地を買い取るという形態が生まれました。これにより農民は安定した収入を得られるようになりました。

・集団生産への移行:江戸時代後期から幕末にかけては、問屋や裕福な地主などが、特定の場所に作業場(工場)を設け、職人や農民を雇い入れて、手織り機による集団生産を行うようになりました。労働者が一か所に集められ、分業による効率化と品質の均一化が図られました。

・近代織物業の幕開け:明治初期から中期にかけて西洋の近代的な紡績機や力織機が導入され、工場での一貫生産が主流となります。

・1891年(明治24年)には地方で最初の動力織機を導入した「井原織物所」が設立されています。これは井原における近代的な織物業の幕開けとも言えます。

・1894年(明治27年)には現在のタカヤグループの創業があり、日清戦争頃には吉備織物が「浅木小倉地」を生産し、呉海軍工廠へ納入するなど、企業活動が活発化しました。

3.「備中小倉」と国産ジーンズの誕生

・「備中小倉」の本格生産:1901年(明治34年)には井原地区で「備中小倉」の生産が本格的に始まります。これは特定の会社というよりも、この地域全体の主要な織物として、多くの工場や家庭で生産されていたことを示唆します。

・明治後期の織物産業構造:明治後期には個人や家庭レベルで機織りを行う「家内工業」が非常に多く存在しそれらの生産物を集約したり、あるいは動力織機を導入した比較的大規模な「織物所」や「会社」が複数存在しその数を増やしていった時期であったとされています。これらの企業が「備中小倉」などのブランドを確立し販路を拡大していきました。

・国産ジーンズのルーツ

・弊社の創業は昭和13年で、創業者の髙木丈司は明治24年の高屋織物の創業メンバーであり、織物会社から縫製会社を創業し、作業服、軍服を縫製していました。

・1950年(昭和25年)の朝鮮戦争開始後博多に集結した進駐軍の米軍兵士が着用していた「ジーンズ」に着目。

・米軍の払い下げジーンズのデニム生地を分析した結果、備中小倉の中の「裏白」の厚地織物と組織が同じことに気づいたのです。

・井原地区の数社がこれに気づき、「裏白生地」を使ってジーンズの模倣生産を開始しました。弊社もその中の1社です。

・当初、井原で生産された裏白生地のパンツは「マンボズボン」と呼ばれました。

・この「マンボズボン」は井原の伝統的な厚地織物の技術と戦後のアメリカ文化の影響が融合して生まれた日本のジーンズのルーツとも言える製品だったのです。

・これが井原が「日本のデニムの聖地」と呼ばれる所以にもなっています。

4.日本のデニムの聖地

井原は、江戸時代の天領から一橋家領地への変遷を経て、一橋家の地場産業育成策により繊維産業が発展しました。家内工業から問屋制家内工業、さらに集団生産、そして近代的な工場生産へと生産形態を変化させながら、地域全体の主要な織物である「備中小倉」を確立しました。戦後、米軍のジーンズに着目し、その技術が「備中小倉」の裏白生地と類似することを発見したことから、国産ジーンズの生産が始まりました。この歴史的な経緯と技術の継承が、現在の井原が「日本のデニムの聖地」と称される所以となっています。

5.昭和天皇と国産デニムのルーツの新発見

昭和天皇による戦前でのデニム購入記録が発見されました。(NEWSのページに掲示)これは国産デニムの歴史に関する従来の定説を覆す重要な発見です。これにより国産デニムのルーツは戦前まで遡り、岡山県井原市が「日本のデニムの聖地」であることの歴史的裏付けが強化されました。この発見は、日本の繊維産業史、地域経済史、さらには当時の社会や文化における西洋文化の受容を再評価する上で極めて重要な意味を持つものだと思われます。