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東京DCブランド BATSU

 

弊社は以前「バツ」というブランドのOEM生産をしていました。バツのネームは業界の中でもちょっと目立ってました。西日本豪雨で浸水し、廃棄したと思ってたネーム帳が出てきました。紙同士はくっついていたのですが、ネームと紙はくっついてないのでなんとか剝がしてみました。弊社にとっては貴重な資料です。

                                                                          井原発、アメリカンスタイルへの挑戦

古き良きアメリカの匂いをまとうジーンズ。 その一本を創り出す過程で、私はある種のジレンマを抱えていました。 当時、商品として目指すべき頂は、疑いもなくアメリカでした。 本場に肩を並べるには、井原や岡山の名を隠し、いかにアメリカの空気感をまとうかに心血を注いだものでした。

ロサンゼルスやニューヨークへ出張に出た時は、古書店を巡り、戦時中の『LIFE』誌を貪るように探しました。 そこにあったのは、写真ではなく、全てイラストで彩られた広告群。 手描きの線が紡ぎ出す豊かな表現は、当時のアメリカが持つ楽観主義と社会の豊かさを雄弁に物語っていました。 その価値観とムードを、私はデニムに落とし込みたかったのです。 しかしそれは同時に、私が生まれ育った井原の地を、ものづくりの誇りを、否定する行為でもありました。

この土地でしか生み出せないデニムを、海を越えたアメリカのフィルターを通して表現する。 この矛盾を抱えながら、私は企画を練り上げていきました。今はもう自社ブランドはないのですが、時代は変わり、もしも今自社ブランドを展開したら、井原をどう表現するか? おもしろいだろなーと感じています。

ジーンズの顔、フロントボタン

弊社が自社ブランドを展開してたころの「FITTZ]と「CANAL」のジーンズ用のボタン。ジーンズのフロントボタンの刻印は、そのジーンズの「顔」とも言える部分であり、ブランドの歴史や特別な価値を表現するための重要な要素となっていました。



シェビニオンとの出会い

皆さん、シェビニオンというフランスのブランドを知っていますか?

1979年にパリで生まれたこのブランドは、1950年代の古き良きアメリカ空軍のミリタリーウェアをベースに、独自の感性で再構築(リデザイン)するというユニークなコンセプトを持っています。創設者のギィ・アズレイ氏の「アメリカへの憧れ」が詰まったブランドと言えます。

私もパリ出張でシェビニオンに出会い、その世界観にすっかり魅了されました。そんな時、商社の蝶理がシェビニオンと提携するという新聞記事を目にし、いてもたってもいられなくなり、「ぜひ日本の生産を任せてほしい」と蝶理に直接申し出ました。私の熱意が伝わり、生産を担当させてもらえることが決まった時は本当に嬉しかったです。

シェビニオンのオーナーが変わったり、蝶理との提携が解消されたりと色々ありましたので、期間はそう長くはなかったのですが、弊社は日本で流通するデニム製品の生産を担当しました。シェビニオンは一時期、ヨーロッパ市場を席巻するほどの人気を誇り、その斬新なデザインや手法は、弊社にとって非常に大きな学びとなりました。

弊社のブランドのジャケットが人気を集めたのは、このシェビニオンから学んだセンスを活かし、再構築したからだと思っています。シェビニオンとの出会いが、今の弊社のものづくりに繋がっているのです。


デニムの新な発見

中国新聞 2024/11/16

リーバイスの創業が1853年、江戸時代ペリーが浦賀に来航した年でした。1873年(明治6年)アメリカでのジーンズ誕生の年と言われています。1890年(明治25年)501が誕生しました。それから40年後が昭和5年(1930年)上記の文書が書かれた年である。

明治後期に井原で生産された備中小倉は、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、中南米、中近東、欧州各国に神戸の地から輸出されておりました。特に第一次世界大戦による「大正バブル」の時期に、海外への販路は大きく拡大しました。当時の日本の輸出用小倉織りの約6割が岡山県産であったとされています。特に藍がガラガラヘビや毒虫除けになると信じられていたため、中南米などでも需要が高かったようです。井原の会社も神戸の輸出商社等との取引があり、米国のデニム情報が同じようなものを生産してる井原に入って来ててもおかしくないと思われます。戦前から「デニム」と言う言葉は井原に存在していたのですね。これまでの戦後からという定説が崩されたのです。

昭和5年11月14日から16日まで、福山市、現平成大学あたりを中心にした神辺平野で秋の陸軍大演習が行われ、昭和天皇が正戸山に行幸(御幸とも言う)された。この行幸を契機として「岩成村」から「御幸村」へと村名変更が行われた。白馬に乗馬されてるのが昭和天皇。

大演習の中心は福山市岩成村であったのだが、岡山県下の演習と記されている。